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TUESレポート

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楊鴻勛先生記念シンポジウムでの招聘講演(浅川教授)

4月28日(土)、中国建築考古学の大家、楊鴻勛先生(1931-2016)を記念する国際シンポジウム「第二届楊鴻勛建築史学国際学術研討会」(中国建築史学会主催)が中国福建省の福州大学で開催され、浅川滋男教授(本学環境学部)が招聘講演をおこないました。
楊鴻勛先生は北京の清華大学建築系を卒業後、中国社会科学院考古研究所(考古研)に入所し、全国各地の遺跡で建物跡の復元研究を手がけられました。その成果を集成した『建築考古学論文集』(文物出版社1987)は、2001年におこなわれた「20世紀で最も優れた文博考古図書の人気投票」論著類部門で全国第1位に輝いています。浅川教授は1992年、考古研を拠点に「中国早期建築の民族考古学的研究」に取り組みましたが、そのときの指導教官が楊先生であり、以後、建築考古学に係わる交流を育まれてきました。
楊先生は山陰を2度訪問されています。1997年には出雲大社・神魂神社・倉吉の町並みなどを視察され、 2010年には大山・隠岐・三徳山シンポジウムで「中国五台山の仏教建築と文化的景観」と題する講演をおこなわれました。近年、三徳山は大山・隠岐国立公園に編入され、大山と大山寺は日本遺産・国史跡になり、隠岐・島根半島は世界ジオパーク・ネットワークに加盟し、摩尼山は日本最大の登録記念物(名勝地)になりました。すべては、楊先生参加のシンポジウムが出発点となって進展した結果です。こうした経緯をかみしめながら、浅川教授は福州大学で以下の話題を提供しました。

 

日本の建築考古学-魏志倭人伝と3世紀前後の大型建物-

1.楊鴻勛先生の想い出
2.邪馬台国への途
3.日本海の真珠-青谷上寺地遺跡
4.卑弥呼の宮室-纒向遺跡
5.「邸閣」再考-松原田中遺跡
6.おわりに-黄帝時明堂と弥生の掘立柱建物

 

魏志倭人伝にみえる投馬(つま)国が出雲・伯耆地方にあたるという新説を呈示するなど、山陰側の遺跡を中心に据えて卑弥呼の時代の建築考古学を語り、楊先生による頭塔(奈良)と長瀬高浜遺跡大型建物(鳥取)の復元案も紹介されました。ほぼ同じ内容の日本語版は、来たる6月22日(金)、京都大学人文科学研究所の共同研究班「3世紀の東アジア」でも発表されることが決まっています。

 

 

2018シンポジウム会場(福州大学明徳庁)入口脇2018シンポジウム会場(福州大学明徳庁)入口脇
2018招聘講演の風景2018招聘講演の風景
北京の民族飯店にて(右端が楊先生)1992北京の民族飯店にて(右端が楊先生)1992
大山・隠岐・三徳山シンポジウム(右から2番目が楊先生)2010大山・隠岐・三徳山シンポジウム
(右から2番目が楊先生)2010

 

関連リンク先(浅川研究室ブログ):
2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(2)
満員御礼! -大山・隠岐・三徳山シンポジウム